田母神俊雄と日本会議の知力のなさが起こした8月6日の愚行

日本は世界で唯一の被爆国として、核廃絶を訴えていく使命を持っている。
まずこのことを確認しておかなければ、いかなる戦争反対アピールも平和運動も嘘っぱちになってしまう。
非人道的な対人地雷には反対だが、戦争抑止のために核を持つのは許されるなどという考えをしていたのでは物笑いの種になるだろう。
非人道的な点において対人地雷も核兵器も変わりはない。地雷は攻撃的な兵器ではないかもしれないが、人間に対してその威力を発揮すれば、悲惨な事態を引き起こすことにおいて攻撃的な兵器と変わりない。
核兵器は一瞬にして数十万人の命を奪い、その後も数十年にわたって人々を苦しめる悪魔の兵器だ。戦争を終わらせるためには必要だったとアメリカ人は今でも言うが、その傲慢な言い分を日本人は未来永劫許してはならないと思う。

ところが、原爆の日の昨日、田母神俊雄日本会議のバカどもは、言うに事欠いて「ヒロシマの平和を疑う」と題する講演会を広島で行った。
田母神からすれば、日本が唯一の被爆国であるが故に「3度目の核攻撃を受けないためにも核武装すべきだ」というのがその主張だという。
なんという本末転倒だろう。
3度目の核攻撃を受けないためには、核武装するのでなく、核兵器をこの世からなくすのでなければならないはずだ。

核攻撃を抑止するために核を持つということは、田母神がどう言ったか知らないが、とりもなおさず日本が再び軍備を整えることを意味する。
そして軍備を整えるということは、すなわち核兵器以外の軍備も増強され、それを維持するための軍部も補強されることになるだろう。
国民には徴兵制度が敷かれ、最新兵器を持つために軍部の発言力が増して、言論統制も行われるようになるかもしれない。
つまりは戦前の日本に逆戻りするということだ。

昨日の講演会の主催者となった日本会議広島の中尾健三理事長は、
「わたし自身も被爆者。祈りの日であることは違いないが、この日に(講演会を)やることに意義はあるのではないかと考える」
などともっともらしいことを言っている。
しかし、原爆がもたらした悲惨さを思い起こし、国民の多くが沈痛な思いにひたる日に、日本も核を持つべきだとぶち上げることにどれだけの意味があるというのか。

昨日の毎日新聞には原爆の被害にあった広島を目の当たりにした脚本家、早坂暁のインタビューが載っていた。

最初に気づいたのは、ものすごい異臭でした。吐く者もいたほどです。広島の死臭だと気づきました。広島駅に着いたのは夜でした。裸のプラットホームが3本残っているだけで、駅舎も吹っ飛んでいました。

雨の中で目を凝らすと、青白い燐(りん)がボッボッ、ボッボッと燃えているのです。まだ収容できていない死体から出ている燐光、俗に言う火の玉だとわかりました。腰が落ちるほどびっくりしました。何千、何万もの死体から燐光が燃えているのですからね。みんな黙って見ているけれど、みんなひざが震えていた。地球が消滅するときの光景ではないかと思いましたね。

核兵器の威力がどんなものか、現代の日本人には写真や映像、書物などから知るほか術がないが、実体験した人の言葉にはやはり力がある。早坂の「最初に気づいたのはものすごい異臭」だったというのは、実にリアルで説得力がある。

毎日新聞は、今日の夕刊でも美輪明宏にインタビューしていて、原爆を投下された長崎の様子が語られている。

「とにかく臭い。死体のような塊がいたる所に転がっている。親子の遺体は必ず子供がおなかの下に。抱きかかえるように覆いかぶさって、自分は焼け焦げても子供は助けたいと思ったのでしょう」

焼けただれた人間や手足を吹き飛ばされた人間、そこらじゅうに遺体が転がっている様子をわれわれは「知っている」が、その現場には吐き気を催すような死臭があふれていたのだ。もはや、現代人には想像することしかできないが、このような地獄絵図を再び地球のどこかに甦らせることだけは避けなければならないことは誰にでも分かろうというものだ。
そして、地獄絵図を再現させないためのいちばんの方法は、核兵器をなくす以外にないことも容易に分かる。

田母神俊雄日本会議(いうまでもなく、この組織には麻生太郎安倍晋三中川昭一などの極右政治家が深く関与している)が考えていることは、日本を戦前のように逆戻りさせ、しかも核の威力を持って対外関係を築いていくということだ。
こんなことを許しておいていいものか。
毎日夕刊の記事で美輪はこう続けている。

「日本は石油も鉄もニッケルもない。もともと戦争できない国なのに、根性、根性、根性――。根性なんて何の役にも立ちません。軍部は知力がなく、非科学的。日本人は野蛮人だった。その愚かさの結果が原爆ですよ」

美輪はまた、憲法9条を変えようとしている現在の政治家たちに戦前の知力なき世代の名残を見ているが、田母神と日本会議のバカどもは、その知力なき者の最たる存在と言えるだろう。
8月6日という、日本にとっては忘れがたい特別な日に、「ヒロシマの平和を疑う」などとくだらない講釈を垂れ、核武装論をぶつ田母神たちに対しては最大級の不快感を日本国民の一人としてここに表しておきたい。