「植草信者」のお粗末さを晒し者にする

5月18日に表ブログである「フンニャロメ日記」に「『きっこ』の変質と、『知られざる真実』の害毒」というエントリをアップしたところ、naokoraという人物から「植草氏は正しい、ブログ主は間違っている」というコメントが来た。

植草に代わって私の間違いに答えてやるというその内容が、あまりにお粗末なので、少し長いがここに晒し者にすることにする。


>>貴殿の植草氏への感想は少しは理解できますが大部分間違いです。私は植草氏のブログは日本でも非常に貴重なメディア批判だと思いますよ。植草氏に代わって答えてあげましょう。

>植草という人は−繰り返しているのはマスコミ不信
植草氏がブログで行っている主要部分がマスコミ批判であるのはその通りでしょう。彼は毎回メディアの政治報道番組(記事)のどこがおかしいか具体的に書いていますね。その内容は概ね正しいと思いますよ。

>「マスゴミ」という表現を何のためらいもなく使っている
植草氏の指摘している事は「マスゴミ」という本を書いた元記者の弁護士の指摘している事と同じでしょう。(本:マスコミはなぜ「マスゴミ」と呼ばれるのか:権力に縛られたメディアのシステムを俯瞰する 日隅一雄 現代人文社 2008)貴殿はおそらくその本を知らないで書いているのでしょう、一度読むべきです。内容はネット上でよく見られる感情的・イデオロギー的な一方的な単なる中傷ではなく、憲法言論の自由に基づいたマスコミ全体に対する根底的な批判です。
恐らくあなたは憲法言論の自由がなぜ大事か理解していないでしょう。それは自由な芸術活動の保証以前に、民主主義を正しく機能させるためであり、政治と密接に関係しています。
すなわち正しい報道(=言論の自由)がなければ、人々は何が起きているか知る事ができず、その結果正しい投票もできない、つまり民主主義はきちんと機能しなくなってしまうからです。植草氏はこの大事な点を理解しているから、そのブログでメディアを批判しているのであり、その行為は非常に貴重で日本人全ての利益になるものと言うべきでしょう。

>政官業が癒着した「悪徳ペンタゴン」−この社会の病巣をそんなに簡単なくくりで語っていいものか?
前出の日隅一雄氏の「マスゴミ」の本や「テレビ政治」「小泉劇場」で代表されるメディアと政治の関係を知れば、植草氏のこの指摘は非常に正しいでしょう。そしてそうしたメディア批判が世間に流布しないのは、メディア全体がそれを排除しているからでしょう。日本のメディア今は他社の報道への批判さえもなぜか嫌うようになっている。それが起きる構造は「政官業の癒着」なのです。これは直接的には主要なテレビ局と全国紙新聞が全て資本関係で結びついており、又テレビなどの認可権を第3者機関ではなく政府の1部門が握っている現在の日本の異常な状態を指しています。
それはまさに汚点です。なぜなら、戦後日本に民主主義をもたらしたGHQはそのようなおかしな構造を作ったりはしなかったから。それは占領解除後、自民党政権によりただちに制度が変更され、今のおかしな構造になったからです。これを「政官業の癒着」と表現するのは非常に正しいと思いますが如何ですか?


植草氏の本質は−マスコミへの恨みを晴らすことだとしたら
別にそれでもまったくよろしい、植草氏の動機は関係ない。要は植草氏のメディア批判の内容が正しいか否かという問題です。あなたは植草氏のメディア批判のどこがどう間違っているか指摘すべきです。


鳩山由紀夫が言った意味不明の「友愛社会建設」だとか「愛ある政治」
テリー伊藤じゃなくたって分からないだろう
民主党代表選挙に関する鳩山氏のテレビでの露出を見ていれば、「友愛」とは「自立と共生」を同時にもたらすメカニズムの意であり、それは民主主義の基本理念である「自由と平等」の現実的な表れであるという説明を聞いているはずです。
すなわちメディアをウォッチし鳩山由紀夫のテレビ出演を見ていれば、「友愛」の意味をテリー伊藤氏は当然知っていたはずです。しかるにテリー伊藤氏はそれを曖昧だと非難した。それは伊藤氏が実際には鳩山氏の説明を聞かずに、ただの知ったかぶりで非難をしたからでしょう。
あるいはテリー伊藤氏が、麻生首相のテレビ宣伝の片棒を担ぎ、日本テレビで2時間近くも麻生相手におべんちゃらのインタビュアーを勤めた「自民党支持者」あるいは「特定の支持団体を持つコメンテーター」である事を知れば、テリー伊藤氏はきちんとした情報に基づいて発言したのではなく、単に「鳩山氏を貶したいから貶した」と受け取るべきかもしれません。

こんなおかしなテリー伊藤氏のコメントを植草氏は批判したわけであり、その批判は至極まともで正しいものだと思いますがいかがでしょうか?

上記で、もし不明な事があれば再度お答えしましょう。