どうしたんだ、頑張れ「自End」村の管理人

最近のニュースを読むと、自公政権が崩壊していくのをスローモーションで見ているようで楽しい(笑)。


とブログ主は書いているが、私から見ると「自End」村が崩壊していくのをスローモーションで見ているようで哀れを催さずにいられない。

8月3日に教祖様の植草一秀が収監されてからというもの、少しは「自End」村もまともになるのかと思っていたが、やはり一度狂った歯車は元には戻りがたいようだ。

ブログというものは誰に頼まれて書くのでもなく、個人の意志の発露として書くものである以上、何を書こうと書くまいとブログ主の自由である。しかし、エントリを上げてなにがしかを訴えるとすれば、おのずとそこに書き手の人間性というか品性が現れる。

たとえば右派ブログならば、8月6日や8月9日には麻生太郎が言った言葉を取り上げて、やはり日本には抑止力としての核が必要だとか、アメリカの核の傘をいつまでも必要としているのはいかがなものかなどと書くものと想像する。
それでこそ右派・保守ブログというものだ。

対して左派ブログならば、この日こそあらためて核廃絶の必要を確認し、悲惨な戦争を二度と起こさないようにしなければならないと訴えるのが、ステレオタイプといわれようと、本来の有りようだと思う。


ところが、長らくリベラル左派を自認し、植草一秀を教祖と仰ぐようになってからも自公政権にピリオドを打て、民主党による政権交代が必要だと訴え続けているカナダ発のブログは違った。
8月6日付のエントリでは、自宅で死亡しているのが確認された大原麗子を偲ぶ記事を書き、ご丁寧にも彼女がかかっていたといわれるギラン・バレー症候群についての解説まで載せている。とはいっても、専門HPにあるものをコピペしただけのもので、原爆の悲惨さを訴えるべき日に、このコピペだらけのエントリはいったい何だろうと思わずにいられない。

さらに翌8月7日のエントリでは、カナダが一日遅れの満月の日だったとかで、(一日遅れというのは、もちろん日本よりということだろう)収監されている植草に応援メッセージを送っている。
といっても自分で書いているのは最初の5行ほどで、残りは植草収監に抗議するメッセージを羅列しているに過ぎない(〆の言葉も5行ほど書いているが)。
なんともお手軽な作りのブログである。
なぜ満月の日に教祖様に応援メッセージを送る必要があるのか、私には今もって皆目謎であるが、そんなことはもうどうでもいい。
要するに、かのブログ主には平和祈念の言葉もなく、あるのは女優の死と満月の祈りしかなかったということである。

8月9日のエントリでは、自民党が党勢を巻き返しているという話題を取り上げている。
そして8月10日になって、ようやくブログ主は「長崎原爆の日に」と題するエントリを上げているが、中身はバカ男の麻生太郎が「傷跡」を「しょうせき」と読み間違えたことをあげつらうことから始まって、麻生批判をならべ、相対する鳩山由紀夫が人間味あふれる男として賛美されている。

おいどうしたんだ、左派ブログの旗振り役は。
ちょっと様子が変じゃないのか。

と思ったら、後半は非核三原則核武装論に関する解説(もちろんコピペたっぷり)があり、最後に「日本から核兵器をなくすためにも、日本の平和を守るためにも、政権交代を実現しよう。」と一言。

あれあれ。
ここでも主役は「平和」ではなく「政権交代」なのだった。

私は思う。
ステレオタイプであろうと構わない。
毎年同じことを繰り返すのでもいい。
日本中が半世紀以上も前の惨禍に思いを馳せ、同じ過ちは二度と繰り返さないと誓う日に、平和を祈らない左派ブログにどれだけの価値があるのだろうか。

何を書くのも勝手。
誰を信じるのも勝手である。誰にも文句を言われる筋合いはない。
その通りだ。
しかし、書くべき時に書くべきことを書かないのは少々恥ずかしいことではないのか。

さらに、このブログ主は8月12日には、ついにかつては蛇蝎のごとく嫌っていたはずの橋下徹を持ち上げるまでになっている。
理由は単純。
橋下徹中田宏らで構成される首長連合が、各党の地方分権政策を採点して、民主党にトップの評価を下したからだ。

橋下氏は、一時民主党地方分権政策を批判していたが、小沢代表代行と会談後、突然、考えを変えたようで、「霞が関の仕組みを根本的に変える、という迫力を感じた」と発言している。小沢代表にうまく説得された様子がうかがえる。

小沢代表代行の演説も政権交代を前にして、日に日に迫力を増している。政権交代が現実になってきた今、小沢代表代行は追い風に乗り、とても頼もしく見える。


まあ、橋下徹のような大衆扇動家以外の何者でもない男を持ち上げるのも勝手といえば勝手なのだけれどね。

でも大丈夫なのか?
ここまで民主党小沢一郎マンセーになっていて。
念願かなって民主党が政権を取ったのはいいけれど、民主党改憲するなど左派からみればとんでもない政策を実施したときに、どうやってこれを批判するつもりなのか。
あるいは橋下徹の人気に寄りかかって、民主党自民党に劣らぬ衆愚政治を行ったときに、ブログ主はどんな言葉でこれを批判するのか。

もう一度繰り返そう。


私には「自End」村が崩壊していくのをスローモーションで見ているようで哀れを催さずにいられない。