今の「世の中」について思うこと

今、日本の社会は政府の無策と世界的な不況のために閉塞感に満ちている。
こんな世の中で、国民の生活が少しでも安らかになるにはどうしたらいいのだろう。

私は、そのことがいちばん大切なことだと思っている。

その手段として、たとえば政権交代もあるだろう。
今の自公政権のままでは、これ以上、国民が安心して生活することは期待できない。
野党第一党民主党にしたところで、他党との連合をよほどうまくバランスとっていかなければ、たとえ政権を取ったとしても、今の政権とどれだけ違いを出せるものかは疑わしい。

私はそう思っている。

そんななかで、「生活が第一」というスローガンをよそに、ブログ界では政権交代こそが最大の目標となり、民主党が政権を取りさえすれば日本はよくなると言う思い込みが蔓延している。

しかし、それは本当だろうか。
疑ってみる必要はないだろうか。
だって、民主党は野党の中でもいちばん自民党と馴染みやすい要素を持っているんだぜ。
そんな政党を頼りに、民主党による政権交代さえ実現すれば、日本はよくなるなんて思うのは、あまりに楽天的に過ぎないか?

もし民主党が政権を取ったとして、緊縮財政政策を採り、徹底的に無駄を省くことにしたらどうなるか。
新自由主義によって焼け野原にされた日本は、日本の国民は、さらに厳しい局面に直面させられることになるだろう。

そのとき、民主党による政権交代さえなれば、日本はよくなると主張していたブロガーたちは、どう答えるのだろうか。

社会の中で格差が定着し、いくら若くてもやり直しが利かない人生を送らなくてはならない今の日本は、どう考えたって健全な社会とは言えない。
われわれにとっていちばん大切なのは、単に政権交代で政党が変わることではなく、具体的に国民生活を豊かにし、希望を持って生きることができる社会を実現することではないのか。

今の社会には、政官業の癒着があるだろう。官僚の専横もあるだろう。利権への固執もあるだろう。

でも、今、ここまで国民の生活が追い詰められたときに、一つ一つの不正を糺している余裕はあるのだろうか。

私はそれを問いたい。

もちろん、不正はなくすべきだ。権力を笠に着て、一人美味しい思いをするなどは許されるべきではない。

けれども、だ。

そんなことは些末なことではないか。
そんなことは、たとえ政権が替わったとしても絶えることはないだろう。

そうは思わないか?

ならば、今、われわれが目指すべきは政権交代を実現させるだけでなく、その後に、どんな政策が実行されるべきなのかを精査することではないのか。

私は議論のための議論など、不毛なものだと思っている。
それが子供っぽいと言うなら言うがいい。

しかし、大切なのは目前の不正を糾弾し、糺すよりも、もっと大局的に見て日本をどうしたらよくすることができるか。
もっと端的に言うならば、国民生活をより豊かにするためにはどうしたらいいのか、その施策を考えなければならないのではないか。

建設的な目的を持った議論をするのには、やぶさかではないが、私は何よりこの方向性を持たない議論ほど不毛なものはないと考えている。
今は言葉尻を取ってゲームをしているときではない。
まさに国民ひとりひとりの死活がかかっている時なのだ。

ネットの世界には独特な風潮があるようだが、私はそんなものは問題にしようとは思わない。

この国をよくするために、国民ひとりひとりの生活がよりよくなるために、必要な議論こそ、重ねていく必要があるものと考える。