これが「信念を貫く男」の決着のつけかたか

衆議院議員城内実が、タレントの眞鍋かをりに無断で写真を使用し、ポスターを作成していた件で、城内のオフィシャルサイトは見事なまでに炎上し、まったくアクセスできない状態が続いていた。

今回の件は、被害者ともいえる眞鍋かをり本人がそのブログで城内とは何の関係もないことを断言しており、自分は特定の政党・政治家を応援することはないとしていることから、過失はすべて城内実側にあるというのが大多数の見方だ。

これに対して、今日の午後、ようやくつながるようになった城内のオフィシャルサイト「国家国民のため信念を貫く男」では、「☆お知らせ☆ 眞鍋かをりさんポスター掲載について」という告知が出ていた。
その文面は以下の通りである。

昨日より、マスコミ各社で報道されている標記の件に関し、当後援会作成のポスターに起因して、眞鍋かをりさんがテレビ番組の出演を見合わせるなど芸能活動に支障をきたしていることに大変心を痛めております。
その結果を重く受け止め、現在掲示中のポスターを早急に撤去する事といたしました。
 また、城内みのるオフィシャルサイトに掲載中の眞鍋かをりさんとの対談動画も早急に削除いたします。
 眞鍋かをりさんの、今後益々のご活躍を心よりお祈り申し上げます。


眞鍋かをりは、城内の仕業のために一時的に仕事を降ろされるなど、実質的な被害を被っているにもかかわらず、城内の「お知らせ」からは、それらに対する謝罪の意志はあまり感じられない。
「芸能活動に支障をきたしていることに大変心を痛めております」という言葉と、騒動の原因となったポスターを撤去するという告知だけで、果たして眞鍋かをりは納得するだろうか。

事と次第によってはタレント生命にかかわる事件を起こしておきながら、城内実が公にした決着のつけかたはあまりにそっけなく、これが「信念を貫く男」のあり方なのかと人間性を疑われても仕方のないものとはいえないか。

城内に人間としての良心があるのならば、まずもって今回のような破廉恥な行為は行わないだろうが、なんらかの過失があってこのような事件を起こしたならば、時をおかずに謝罪の意を表明し、本人に直接謝りに行くべきだったろう。
しかし、実際には城内は昨日の時点で開き直りとも取れる「(写真を)無断使用した事実はありません」という「お知らせ」を公開しただけだった。

眞鍋かをりという個人に多大な迷惑をかけておきながら、満足な謝罪もせず、開き直りさえしてみせるような男が、果たして国家国民のことを思って事を為すことが可能だろうか。
私には到底無理のように思える。
しかも悪いことに、批判の嵐に直面しながら木で鼻をくくったような「お知らせ」で事を済ませようとする傲慢な態度は、かえって城内自身の資質に問題があることを露呈して見せたといっていいだろう。

ネット住人の中には、今度の衆院選でライバルとされている片山さつきが裏で手を回してこの事件を起こしたかに語る阿呆がいたようだ。しかし城内が不十分ながらも謝罪の意を表したことにより、陰謀論者がいかにバカであるか、そして城内実という男がいかに政治家にはふさわしくないかが、あらためて浮き彫りになったといえるだろう。

なんとも痛い「みんなでブログ・デモ行進」の企て

今日22日は46年ぶりの皆既日食が観測されたが、ブログ界では何を思ったか、この日食にこと寄せて元痴漢のU草氏の無事を願う? デモが企てられていた。
「植草一秀さんを守りたい! 『みんなでブログ・デモ行進』のお知らせ。ブログで同日一斉に発信!」という掲示板の記事がそれ。

発案者は夏みかんという人物だが、彼女(彼?)によると、痴漢の実刑判決が確定し間もなく収監される予定のU草氏の身の上が心配でならないらしく、日食が起きた今日、気持ちを同じくするブロガーたちは教祖様を案じ、褒め称えるエントリをアップしようというのである。

冤罪である植草一秀さんを守りたい、危険な目にあってほしくないという思いは一緒だと。

皆さまのこの思いがつながったら、なにか変えることができるのではないかと考え、
今回 同日一斉ブログ発信、ご参加のお知らせをお伝えすることにいたしました。

一斉にブログ発信することによって、「植草一秀さんの現在の状況」 を一人でも多くの方にお伝えし、偏向報道等により植草さんに対する誤った情報を正しい方向に導きくことができれば、と思っております。

まあ、自分が信じる教祖様に祈りを捧げるのは勝手だが、この発案者によれば日食があった今日だけでなく、毎月の新月、満月の日にも合わせて「祈りのエントリ」をアップしようという目論見らしい。
陰謀論を操り、政権批判、メディア批判を続けているU草氏は、私から見れば人を惑わし、誤った方向に思考を導く害悪多い人物であり、多くのブロガーを巻き込んで自分を痴漢に仕立て上げた権力・マスコミに対する私怨を晴らそうとしている志の低い人物でしかない。
こんな人物に対して、日食やら月の神秘的な力を借りてU草氏救援の狼煙を上げようとする行為は、まるで日食が良きことの兆しを知らせるものとして地面にひれ伏す未開部族の人間並みで、反知性的としか言いようがない。

しかしながらすでに元・アルファブロガーでもあるM女史や陰謀論好きで知られるOh.Henry氏などは、何の疑問もなく上記の掲示板を紹介し、「ブログデモ行進」を呼びかけている。

なんともはや、お手軽。そして驚くほどのイノセントというしかない。

U草氏のことなどまったく評価しない私ではあるが、彼等の神がかったとも言える「デモ行進」に、少しでも御利益があることを陰ながら願っておこう(あまりに気の毒だから)。

それでもU草氏が痴漢を犯したとして収監される事実は覆りようもないけどね。

これはひどい、産経新聞政治部長の都議選総括

産経新聞はしばしば極端に偏向した記事を書いて、われわれを楽しませてくれる。
今回は政治部長乾正人という人物が、都議選を総括して大いに期待に応えてくれた。

まず前段で、乾は「予想されたこととはいえ、自民の惨敗、民主の躍進という都議選の結末は、有権者の怒濤のような国政への怒りの表れ以外の何ものでもあるまい」と無難にまとめる。
そして、麻生太郎は「地方選と国政とは直接関係ない」と言うだろうが、都民は麻生政権に「ノー」の意思表示をしたのであり、首相はこの事実を厳粛に受け止めねばなるまいとし、次期衆院選も都議選と同じような結果になるのは目に見えているとしている。

面白くなるのはこれからだ。

では、麻生首相は都議選敗北の責任をとってやめるべきか。

私はそうは思わない。自民党構造改革なしに、選挙目当てに自民党総裁という表紙だけを代えるのはいかにも姑息(こそく)な手段である。

自民党御用新聞らしく、首相が責任をとるには、辞めるよりもまず自民党構造改革が必要だとするのはいいのだが、その「構造改革」の中身がすごい。

なんと、乾政治部長は、安倍晋三福田康夫麻生太郎の三代にわたる首相が靖国神社参拝に踏み切れなかったのが、自民党敗北の原因であり、構造改革が必要な部分だというのだ。

小泉氏は、総裁選出馬時の公約を守って中国や韓国が強く反発するのを承知の上で、在任中、靖国参拝を続けた。むろん、国民の中にも反対派は少なからず存在したが、内政的には「ぶれない指導者」を強く印象づけ、高支持率の基盤をつくった。

 続く安倍氏は「美しい国」づくりを掲げ、首相就任前は、熱心に靖国神社を参拝していた。だが、在任時には「政冷経熱」といわれた日中関係の改善を図ろうと参拝を自粛してしまった。「保守政治家」を自任する麻生首相も参拝する気配はない。

 その結果はどうだっただろうか。確かに日中首脳間の対話は頻繁に行われているが、東シナ海のガス田問題も毒ギョーザ事件も解決していない。それどころか中国は、軍備増強のスピードをさらにあげている。このため自民党支持者の一部は、「他国に遠慮して戦没者の慰霊もできない指導者」と麻生首相らを見放している。

ワーオ!
小泉純一郎が支持を得たのは靖国参拝を続けて近隣諸国との関係を悪化させながらも、「ぶれない指導者」を印象づけたからだという。
反対に、靖国参拝できなかった安倍や参拝する気配を見せなかった福田、態度がはっきりしない麻生はガス田問題や毒ギョーザ問題も解決できず、支持者からも見放されているというのだ。
中国が軍備増強を進めているのも、首相たちが靖国参拝をしないためなのだ!

さすが産経新聞
よくぞここまで深読みをしてくれました。
次の衆院選挙で民主党が政権をとったなら、産経新聞は翌日の社説にきっと書くことだろう。

「新首相はまず靖国参拝をするべきだ」
ってね。

世襲議員は今こそ力を証明するべきじゃないの?

都議選を前に、政局は完全に煮詰まったかに見えるが、一時批判の矢面にさらされた自民党世襲議員たちは何をやっているのだろう。
地盤、看板、カバンの「3バン」を持っている世襲議員は、それほど努力しなくても議員になれる、だから不公平だという批判に対して、彼らは「世襲議員もそれなりに勉強、努力している」などと弁解していたのを思い出す。

けれども、麻生太郎の人気が最低レベルを維持し、自民党は次の選挙で勝てる要素が何もないと言われる今、「それなりに勉強」してきたはずの世襲議員たちの間から自民党を立て直すための具体策は一向に聞こえてこない。おそらく目下のところは上からの発破もあって都議選候補の応援に駆け回っているのだろうが、それにしても東国原英夫のような中身が空っぽな男の人気にすがろうとしている党幹部たちを見ていて思うところはないのだろうか? 

自民党はいまだに政権担当能力があるのは我が党だけだと言っているが、具体的なマニフェストさえ作れずにいる。
ならば、日頃から勉強し、努力している世襲議員の誰かが立ち上がり、麻生太郎を引きずり下ろし、自分ならこういう政策を実行すると言えばいいじゃないか。
そうすれば、今は最低の自民党も少しは人気を持ち直す可能性がある。
自民党内には総裁選を前倒しして党の看板を掛け替えて選挙に臨もうとする案も出ているが、負けると分かっている戦にあえて立とうとするものはいない。石原伸晃なんかが候補に挙がっているようだが、どうも本人には敗軍の将になる気はなさそうだ。たしかに推されて立ったとしても、自分が最後の総裁として政権を譲らなきゃならないとしたら、政治家としたらかなり格好悪いと思うのかもしれない。
でも、それじゃあまりに覇気に欠けるというべきではなかろうか。

小渕優子なんか、まだ若いのだし、少子化問題担当相としてやれることはいくらでもあっただろうに、実際にやったのは第二子を産んだだけだもんね。
もっとも世襲の中にも、安倍晋三のように、政治家としては終わったはずのボンボンが妙に野心を出して影響力を発揮しようとしている者もいる。

こういう奴はしっかり叩いておかなきゃいけないと思うんだけどね。

今の「世の中」について思うこと

今、日本の社会は政府の無策と世界的な不況のために閉塞感に満ちている。
こんな世の中で、国民の生活が少しでも安らかになるにはどうしたらいいのだろう。

私は、そのことがいちばん大切なことだと思っている。

その手段として、たとえば政権交代もあるだろう。
今の自公政権のままでは、これ以上、国民が安心して生活することは期待できない。
野党第一党民主党にしたところで、他党との連合をよほどうまくバランスとっていかなければ、たとえ政権を取ったとしても、今の政権とどれだけ違いを出せるものかは疑わしい。

私はそう思っている。

そんななかで、「生活が第一」というスローガンをよそに、ブログ界では政権交代こそが最大の目標となり、民主党が政権を取りさえすれば日本はよくなると言う思い込みが蔓延している。

しかし、それは本当だろうか。
疑ってみる必要はないだろうか。
だって、民主党は野党の中でもいちばん自民党と馴染みやすい要素を持っているんだぜ。
そんな政党を頼りに、民主党による政権交代さえ実現すれば、日本はよくなるなんて思うのは、あまりに楽天的に過ぎないか?

もし民主党が政権を取ったとして、緊縮財政政策を採り、徹底的に無駄を省くことにしたらどうなるか。
新自由主義によって焼け野原にされた日本は、日本の国民は、さらに厳しい局面に直面させられることになるだろう。

そのとき、民主党による政権交代さえなれば、日本はよくなると主張していたブロガーたちは、どう答えるのだろうか。

社会の中で格差が定着し、いくら若くてもやり直しが利かない人生を送らなくてはならない今の日本は、どう考えたって健全な社会とは言えない。
われわれにとっていちばん大切なのは、単に政権交代で政党が変わることではなく、具体的に国民生活を豊かにし、希望を持って生きることができる社会を実現することではないのか。

今の社会には、政官業の癒着があるだろう。官僚の専横もあるだろう。利権への固執もあるだろう。

でも、今、ここまで国民の生活が追い詰められたときに、一つ一つの不正を糺している余裕はあるのだろうか。

私はそれを問いたい。

もちろん、不正はなくすべきだ。権力を笠に着て、一人美味しい思いをするなどは許されるべきではない。

けれども、だ。

そんなことは些末なことではないか。
そんなことは、たとえ政権が替わったとしても絶えることはないだろう。

そうは思わないか?

ならば、今、われわれが目指すべきは政権交代を実現させるだけでなく、その後に、どんな政策が実行されるべきなのかを精査することではないのか。

私は議論のための議論など、不毛なものだと思っている。
それが子供っぽいと言うなら言うがいい。

しかし、大切なのは目前の不正を糾弾し、糺すよりも、もっと大局的に見て日本をどうしたらよくすることができるか。
もっと端的に言うならば、国民生活をより豊かにするためにはどうしたらいいのか、その施策を考えなければならないのではないか。

建設的な目的を持った議論をするのには、やぶさかではないが、私は何よりこの方向性を持たない議論ほど不毛なものはないと考えている。
今は言葉尻を取ってゲームをしているときではない。
まさに国民ひとりひとりの死活がかかっている時なのだ。

ネットの世界には独特な風潮があるようだが、私はそんなものは問題にしようとは思わない。

この国をよくするために、国民ひとりひとりの生活がよりよくなるために、必要な議論こそ、重ねていく必要があるものと考える。

まったく変質者とは往生際の悪いものだ

昨日のエントリでzames_makiの変質者ぶりを暴露したが、今日になってもこの男(たぶん)は、IPアドレスが同じなのは偶然ととぼけている。
ちなみに、こいつのホスト名は
61-23-199-175.rev.home.ne.jp
で、IPアドレス
61.23.199.175
である。
もちろんnaokoraのホスト名、IPアドレスも同じだ。
これだけ動かぬ証拠をつきつけられながら、naokoraとは別人と言い張るこの変質者に、正直なところ私は寒気さえ感じる。

さらに、こいつは件のコメントのやりとりから自分と私以外のものを削除するという狡賢い細工もしている。
昨日つけられていたコメントは
>>zames_maki
かっこ悪い。
IPぶっこ抜かれたのに、まだとぼけてんの。。

だったが、削除されている。

今現在は、らいらという人物のコメントがついている。
>>それはたまたまそうなっているのでしょう。
IPアドレスの意味わかってる?IPが一致していて別人ということは
同居の家族か、同じ学校または会社内のLANとか、もしくは同じネカフェとかから接続してなきゃあり得ないだろう。
zames_makiはいつも自宅以外からアクセスしてるの?
」5/24/17:02

しかし、これもいつ削除されるやら。
今、こいつはIPが同じと指摘されたにもかかわらず、
「そうなんですか知らなかった、それはたまたまそうなっているのでしょう。そして何よりzames_makiはnaokoraではない事は確かです。重ねて書けば私は植草氏のメディア批評に関心があるのでありそんな事はどうでもよろしい。」
などとコメントしているのだ。


議論を論難と勘違いし、どこまでも無意味な「勝ち負け」にこだわるこの変質者の異常さは、以下のやりとりからも容易に判断できる。
http://www42.atwiki.jp/hatenawatch2/pages/37.html
また、naokoraの執拗なコメントには次のようなものがある。
http://weblog-urano.blogspot.com/2008/12/blog-post_29.html
http://boyaki-555.at.webry.info/200812/article_4.html

これを以下のzames_makiのやりとりと比べると、両者の共通性に嫌でも気づくはずである。
http://d.hatena.ne.jp/PledgeCrew/20090330

ネット上をうろついては因縁をつけて回るzames_makiとnaokoraの異常性と同一性を、皆さんにも確認していただきたい。
※ただし、かなり不快な作業だけどね。

こんなやつと接触するのはまっぴらなので、私もこれ以上はこの変質者をスルーすることに決めた。